2015年3月31日火曜日

資本主義は平和をもたらす:資本主義の特徴とは「富は奪わなくても創造できる と考えること」

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JB Press 2015年03月31日(Tue)  原田 泰 (早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4836

資本主義は平和をもたらす

 資本主義はその自己増殖的な欲望によって社会を破壊し、その破壊を避けるために戦争にまで突き進みかねないものだと批判されている。
 レーニンの『帝国主義論』では、自由主義競争の資本主義の中から独占が生まれ、この独占が金融資本にも波及して、独占金融資本が生まれる。
 この独占金融資本が世界の隅々まで支配することになり、分割する市場がなくなった時点で、再分割をめぐる闘争が起きる。
 よって、再分割をめぐる帝国主義戦争は不可避である。
 世界大戦はこうして起こるというのである。

■暴力による殺人は減少してきた

 しかし、戦争なら大昔からあった。
 資本主義以前の戦争とはどんなものだったのだろうか。
 コーランには、
 「戦利品は神と使徒のもの」
 「わし(神)はおまえたちとともにある。わしは不信の徒の心に恐怖を投げ込んでやる。おまえたちは彼らの首を打て。また、彼らの指先まで、一本一本打ちのめしてやれ」
 「天使たちが不信の徒を呼び寄せて、その顔と背を殴打するところを汝に見せたいものである。火あぶりの懲罰を味わえ」
 「地上で殺戮をほしいままにしたあとでなければ、捕虜を蓄えることなど、預言者にふさわしいことではない」
とある(藤本勝次責任編集『世界の名著15 コーラン』190~197頁、中央公論社、1970年)。
 ここで最後の文の意味は、信仰の敵を滅ぼすのが第一で、捕虜にして身代金を取ることだけを考えるのは預言者のすることではない、との意味である(コーラン、71頁注1)。

 別にコーランだけのことではない。
 旧約聖書には、これ以上の残虐な話がいくらでも書いてある。
 モーセが、エジプトで奴隷にされていたイスラエルの民を約束の地に戻すために、エジプト人を殺すのは理由があるとしても、その後の事跡は理由のない残虐さに満ちている。
 儀式と部族の系譜の説明を除けば、旧約聖書は、ほとんどが理由のない殺人の記録と言っても良いのではないか。

 エジプトから脱出したイスラエルの民が、モーセがシナイ山に登り十戒を授けられるのを待つ間に金の子牛の像を拝んだ偶像崇拝の罪として、3000人のイスラエル人を殺す。
 他にも、神を疑ったもの、モーセに反逆したものを、数度にわたって何万人ずつも殺している。
 大粛清である。
 モーセは、約束の地カナンに到達するまでに、様々な人々を皆殺しにするように命じる。
 「イスラエル人は、主に命じられた通りに、ミデヤン人と戦って、その男子をすべて殺した。……モーセは、(女たちを生かしておいたと聞いて怒り)今、子どものうち男の子を皆殺せ。男と寝て、男を知っている女もみな殺せ。男と寝ること知らない若い娘たちはみな、あなたがたのために生かしておけ」
とある。

 約束のカナンの地では、
 「その地の住民をことごとくあなたがたの前から追い払い、彼らの石像をすべて粉砕し、息のある者は、一人も生かしておいてはならない。……主が命じられたように必ず滅ぼし尽くさなければならない」(旧約聖書、民数記第31章)。
モーセが杖を振り上げると紅海が割れ、ファラオの軍に追い詰められたイスラエル人たちは海を渡った(旧約聖書『出エジプト記』) HULTON ARCHIVE / GETTYIMAGES

 コーランには、十戒をはじめ旧約と同じ話がいくつも書かれている。
 翻訳のせいかもしれないが、旧約よりも残虐さが減少しているようだ。
 コーラン版の十戒では、3000人の粛清の話はなく、
 「(金の)子牛を選んだ者どもには、主からのお怒りと現世での屈辱が身に及ぶであろう」
と書いてあるだけである(コーラン、184頁)。
 旧約の神よりも、イスラムの神の方が、「慈悲深く慈愛あつい」のかもしれない。
 また、神の大量粛清の記述もない。
 ただし、主のお怒りはかなり厳しいようである。

 これら聖典の記述を字義通りに読めば、ともかくも人類は争い、殺戮を続けてきた存在だと思うしかない。
 ところが、ハーバード大学の心理学教授であるスティーブン・ピンカーによれば、
★.戦争、内乱、ジェノサイド、粛清、犯罪による死、要するに暴力による死を遂げる人の数は、徐々に減少しており、
 特に、中世後半から20世紀の間に劇的に減少し、その減少傾向は現代にまで続いている
というのである。
 中世前でも、旧約よりもコーランの方が殺人は少ないから、殺人は減少していたのかもしれない。

 もちろん、
★.絶対数の殺人は必ずしも減少していないのだが、
 人口が増加していることによって、そのように殺される確率は劇的に減少している
というのである(スティーブン・ピンカー『暴力の人類史』はじめに、青土社、2015年)。

 ではなぜ、人類は殺し合いを行い、また、殺し合いを減らすことになったのか。
 まず、未開の狩猟民が平和だった訳ではなかった。
 彼らは狩場をめぐって争い、殺さなければ殺されるという状況にあった。
 中世の騎士の時代もそうだ。
 多くの領土に分割されていた時代、隣の騎士がいつ襲ってくるか分からない状況では、襲われる前に襲うしかなかった。
 襲う対象は隣の騎士であるとともに、その農民でもある。
 農民を殺し、その財産を奪えば、武器や兵士の供給力も低下し、敵の力が衰えるからである。
 ところが、分割されていた領土が一人の王の下に統合されることによって、暴力による死は激減する。
 王は騎士たちの領土を確定し、その争いを禁じたからだ。

 ホッブズのいうリヴァイアサンとはお話ではなくて現実だった。
 騎士たちの際限のない争いより、王の絶対権力の方がマシだと、農民はもちろん、騎士たち自身にも理解されるようになった。
 騎士たちとしても互に争うことは、自分が殺される危険もまた大きいということだからだ。
 王は臣民の生命と財産を保護し、その代価として臣民に課税するものとなった。

■リヴァイアサンのジレンマ

 ここで2つの問題が生まれる。
 第1は、
 王がこの暗黙の契約を破り、臣民の財産や生命を踏みにじるようになったらどうなるのかという問題である。
 第2は、
 王国の中では暴力による死が減少するが、強力になった王同士が殺し合いをしたらどうなるのかという問題である。

 まず、事実として、
★.強力な王が出現した18世紀以降、王国の内外を通じて、暴力による殺人は劇的に減少した。

 第1の問題については、まず、王には臣民との契約を守るインセンティブがあった。
 王が平和を維持すれば、その領域の中では交易が盛んになり、交易を通じて富が生まれる。
 分別のない略奪より、そこで生まれた富に課税した方が、王宮の費用や騎士たちを抑えつけ、隣国ににらみを利かす常備軍を維持する費用が、より効率的に賄えると理解したからだ。
 農民は、殺したり略奪したりする対象から、生かしておいて税を取る対象になったのだ。

★.毛沢東時代の中国はほとんど内乱状況にあって貧しかったが、
 鄧小平以降の中国は豊かになり、汚職で得られる金額も桁外れになり、隣国ににらみを利かす軍備も格段に強化されるようになった。
 臣民との暗黙の契約を守った方が良いということである。

 第2の問題は解決していない。
 しかし、国家間の戦争は起きていたが、それでも暴力による死は減少していたという。
 国家間の戦争は、一度起きれば大量の死を招くが、それでも部族や騎士同士の、被害者の数は少ないが、頻繁に起きる殺し合いよりはマシだったというのだ(ピンカー前掲書)。

 強力な国家間の戦争は、第2次世界大戦以降、起こっていない。
 私たちは様々な地域の虐殺のニュースを聞くが、だからと言って、現在が悪い時代ではない。
 そう思うのは、現在のマスコミが世界の隅々までの情報を瞬時に届けるからで、それ以前の虐殺については記録に残っていないからだというのだ。

 第1次世界大戦は、セルビア独立を求める19歳のテロリスト、ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア皇太子を暗殺したことから起こった。
 テロリストを処刑し、関係者を処罰すれば良いだけだと誰でも思うだろうが(実際、処罰されている)、それが全ヨーロッパを巻き込む大戦争になってしまった。

 一方、現在ウクライナの戦死者は5000人以上に上るという。
 しかし、だからと言って、全世界を巻き込む大戦争になるとは誰も思わない。
 大戦争の損害があまりにも大きいからである。
 もちろん、西欧とアメリカが戦争の損害を恐れているとロシアが見切っているからこそ、親ロシア派が限定的勝利を収めているのだが、だからと言ってロシアがウクライナ中央部にある首都キエフまで攻め込むことはないだろう。
 第2の問題は、解決はされていないが、マシになっていることになる。

 旧約聖書やコーランが書かれたのは、人々が部族に分かれ、お互いに争っていた時代だった。
 それぞれの部族が、自分からは争う気がなくても、敵の部族はいつ攻撃してくるか分からない。
 攻撃や略奪を受けたとき、それに対抗するのは、復讐しかない。
 復讐を恐れるなら、相手を皆殺しにすることが解決策となる。

■日本にも登場したリヴァイアサン

 リヴァイアサンは日本でも誕生した。
 戦国の世の中から小さな領主を糾合した戦国大名が生まれ、その中から最強の大名が天下を統一することになる。
 こうして最後に成立した徳川幕府は、領主間の争いを止めさせ、農民を課税のために保護する対象と考えるようになった。

★.そのことをもっとも自覚的に行ったのは犬将軍と言われた徳川綱吉だったという。
 大名の力を抑え、中央集権化を進めるとともに、農民を保護しようとした。
 武士は、その支配下の人間に対して絶対的な権力、些細な無礼で討ち殺す権限を持っていたが、それを制限しようとした。
 犬を保護しようとした生類憐みの令で、庶民が苦しんだことはなく、それは武士の残虐さを抑制しようとしたものだったという。
 そもそも、生類には人間が入っているのだから当然で、捨て子の養育を求めることがその主眼だったというのだ(ベアトリス・ボダルト=ベイリー『犬将軍─綱吉は名君か暴君か』柏書房、2015年)。

 考えてみれば、綱吉の治世は元禄時代で、浄瑠璃、歌舞伎、琳派など、日本が誇る伝統文化が花開いた時代だ。
 庶民が苦しんで、町人文化が栄えるはずはない。
 綱吉が貶められたのは、彼が大名や武士の特権を奪い、中央集権国家を作ろうとしたからだった。
 庶民は綱吉の治世を非難する何の資料も残しておらず、残したのは武士階級だけだったというのである。

 もちろん、ここから市民革命までの道は遠い。
 しかし、万人が万人の敵となる無政府状態から、人間の命を大事にする政体に近づく前に、啓蒙専制君主が必要だったのだろう。
 そこで生まれた平和と豊かさが、争いを合理的に解決しよう、人は殺して奪うのではなく客として扱って利益を得る対象と考えるべきだ、豊かさを楽しみ、それを分け合おうという態度をもたらすことになった。

 文楽と歌舞伎の傑作「義経千本桜」で、
 船宿の主、渡海屋銀平は、船待ちの順番を無視して船を出せと迫る鎌倉方の武士に、
 「一夜でも宿泊すれば商い旦那様」、
 自分の客は平等に扱うのが宿主の務め、
 船待ちの順番を崩すこと、
 女に乱暴するなど許さぬ
と見えを切る。
 お侍様の刀は他人の狼藉を防ぐ道具で、それゆえ武士の武の字は戈を止めると書くと説教した上に、切りかかる鎌倉武士の刀を奪ってみね打ちにする。
 見物の町人たちは喜んだに違いないが、渡海屋銀平は、実は平知盛という武士であるから、江戸幕府もお咎めなしということなのだろう。
 何しろ、知盛は「見るべきほどのことは見つ」と言って壇ノ浦に沈んだ平家方最大のヒーローなのだから。

■なぜ民主主義が混乱をもたらすのか

 ここでもう一度、第1の問題について考えてみよう。
 王には臣民との契約を守るインセンティブがあった。
 ヨーロッパの多くの王たちは契約を守ろうとした。
 江戸の将軍たちもそう考えた。
 しかし、もちろん、それだけでは十分ではない。
 臣民から選ばれた代表が国家を運営すれば、人々を無慈悲に扱ったり、むやみに高率の税を課したりしないだろうという代議制民主主義の思想が生まれた。
 それは欧米から生まれ、日本に渡来し、全世界に広まった。
 それはアラブの独裁国にも広まるはずだった。
 2010年から12年にかけて盛り上がったアラブの春によって民主主義革命が起こり、これらの国は平和になり、人々は幸福になるはずだった。
 ところが、そうはなっていない。

 実は、この混乱は、民主主義の政体を構想していた人々によって、すでに予想されていた。
 民主主義は自由な選挙によって自分たちの指導者を選ぶ制度である。
 しかし、それだけと考えれば、むしろ混乱を招きかねない。
 自由な選挙によって、民衆の多数が少数に対して、特定の宗教やイデオロギーを押し付ける指導者を選べば、混乱の原因となる。

 アメリカ独立革命の指導者は、造物主(神と言わないのは、様々な神の解釈によって対立した宗教戦争の記憶があったからである)が人民に与えた権利を、人間である王が奪ってはならないのはもちろん、人民によって選ばれた政府も奪ってはならないとした。

 では、造物主が人間に与えた権利とは何か。
 権利章典と呼ばれる合衆国憲法修正条項10カ条であり、
 信教・言論・出版・集会の自由、
 合理性のない捜索、逮捕、押収の禁止、
 財産権の保障、
 刑事上の人権保障、
 残虐で異常な刑罰の禁止
などである。

 なお、アメリカで銃の所有の自由の根拠となっている人民の武装権も修正第2条として、この中に入っている。
 そこには、
 「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」
とある。
 これらは、造物主が与えた権利であるから、人間が変えてはならないものである(だから、アメリカでは、銃の規制も難しい)。

■天賦人権論と富の創造への理解

 明治の日本人は、驚くべきことに、民主主義における権利章典の意味をすぐさま理解した。
 造物主が人間に与えた権利を、
 天賦人権
と訳した
 天の与えたものは、藩閥政府はもちろんだが、民権活動家が成立すべきと考えた民主主義の政府も奪うことができないに決まっている。

 天が人間に与えた権利とはフィクションかもしれない。
 しかし、このフィクションをすべての国民が信じなければ、民主主義の政体は、むしろ混乱をもたらす可能性がある。
 国民の51%の人間から選ばれた政府が、この宗教を信じるべきだ、49%の財産を奪っても良いなどと言いだせば、国民同士の争いは避けられない。
 むしろ、権利章典のない民主主義は、自由な選挙があっても(自由な選挙もない国が多いのだが)、民主主義ではないと考えるべきである。

 誤った民主主義の政府なら、少数派が強権によって維持している政府の方がマシかもしれない。
 少数派であるがゆえに、多数派はもちろん、他の少数派の信教の自由や財産を奪おうとしたりしないことが通常であるからだ。
 別に、倫理的に優れているからそうしないのではなくて、軋轢が大きくなりすぎて、自分たち少数派の支配が揺らぐことを恐れているからである。

 民主主義が成立する前に、リヴァイアサンの登場が必要だった。
 万人の万人に対する戦いを止めさせるために王が必要で、それを王も臣民も理解するという時代が必要だった。
 この時代に資本主義と市場経済が徐々に発展していった。

★.資本主義の特徴は、富は奪わなくても創造できる
と考えることである。
 富を創造するためには平和が必要で、人々が自らの権利と思うものを相互に尊重しあうことが必要だと考えるようになる。
 ここから、権利章典の思想が生まれる。
 江戸時代にも、女に乱暴などせず、客として平等に扱うことが大事だと考える渡海屋銀平が登場する。資本主義のもたらす平和の思想の萌芽である。







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